神戸家庭裁判所 昭和57年(家)2413号 審判 1982年11月08日
二四一二、二四一三号申立人 大井浩雄
二四一二号申立人 大井紀子
主文
一 申立人らの氏「大井」を、「レン」に
二 申立人大井浩雄の名「浩雄」を「チユイ・ビエン」にそれぞれ変更することを許可する。
理由
一 申立人らは主文同旨の審判を求めた。
二 本件記録並びに申立人大井浩雄、同大井紀子各審問の結果を総合すると次の各事実が認められる。
1 申立人浩雄は、昭和二八年九月一八日ヴイエトナム国ビンデイン県フーミー郡○○○○町で医者である父レン・チユイ・チユンと母バン・フアン・ビンとの間に出生した三男であるところ、留学生として一九歳の時に来日し、昭和四八年三月○○○○○を卒業し、その後○○○○大学に学び、昭和五二年一〇月同大学を卒業したヴイエトナム国人であつたが、同国の内戦の為に帰国する機会を失い、その後神戸市中央区○○○×丁目×-×所在の○○・○○・○○・○○○・○○○○・○○○○○に入社して現在に至つている。
2 申立人浩雄は会社の取引先の関係で申立人紀子と知り合い昭和五六年九月一八日同女と婚姻して、現住所で生活をし、その間に長女フアン・チ・リン(昭和五七年五月一二日生)をもうけた。
3 申立人浩雄は昭和五七年八月一四日日本国に帰化し、従前の氏名と異なる大井浩雄として同年九月九日帰化の届出をし、同年九月一三日戸籍編成がなされており、その際同時に帰化した長女の名も知鈴として届出ている。
4 申立人浩雄のつとめる上記会社のスタツフは英国人やオランダ人であるが、その余の二、三〇人の従業員の大半は日本人であり、同人が会社に日本国に帰化した旨の届をする前後共、レン・チユイ・ビエンとして勤務をし、同僚は同人をレンさん又はビエンさんと呼んでいる。
5 申立人浩雄は帰化に際し、従前の氏名を使用したい旨のべたが法務局係官に日本風の氏名に変えなければ帰化が許されない旨いわれて、やむなく従前の氏名と異なる大井浩雄として届出たが、ヴイエトナムにいる両親は日本国帰化については了解したものの、氏名まで変えたことについて強い不満の意をのべている。
6 申立人紀子は申立人浩雄と結婚すれば当然その氏はレンに変わるものと思いこんでいたこともあり、今後申立人浩雄の氏がレンに変わつても差し支えない旨のべている。
7 申立人両名の現住所に掲示してある表札は、帰化の前後を通じてレン・チユイ・ビエンを英文字であげ、その下に同氏名の片仮名の名刺をはつている。
三 上記認定事実からすると、申立人浩雄はその帰化の前後を通じてレン・チユイ・ビエンの氏名を出生以来現在に至るまで継続して使用しており、帰化に際して、同人が帰化の許されなくなることを恐れて不本意ながら従前の氏名と異なる氏名を申告したものというべく、これは帰化に際しては随意に其の氏を設定し得る(大正一四年一月二八日付民事第三四号民事局長回答、昭和二八年六月二四日付民事甲第一〇六二号民事局長通達参照)にもかかわらず、日本社会への同化性あるいは同化の可能性についての配慮から、片仮名による氏名の選択を困難ならしめて従前の氏名と異なる氏名を選択させたことについて無理があつたのではないかとも推測されると共に、現在の極めて流動的になつた国際社会化の現状からすれば、戸籍法施行規則第六〇条三号の片仮名による氏名の選択は許すべきと思料されるので、主文のとおり審判する。
(家事審判官 松井薫)